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每日天聲人語對譯分享:初心忘ルベカラズ―世阿彌

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初心忘ルベカラズ世阿彌『花鏡』

勿忘初心——世阿彌《花

山崎正和は「変身の美學」にこの「有名な教訓」を次の如くもっとも適切に解釈している。

山崎正和在其著作《變身的美學》中對這句著名的訓誡做了如下精闢的解釋。

世阿彌のこの遺訓は「けっして初心のまじめな覚悟や情熱を忘れるなという道徳的な教えではない。むしろ初心の芸がいかに醜悪であったか、その古い記憶を現在の美を維持するために肝に銘ぜよという忠告なのである」。

世阿彌的這句遺訓並不是「一定要牢記最初那種認真的覺悟和熱情」這樣的道德式說教,而是告訴我們,為了保持現在精湛的技藝水平,我們一定要謹記自己最初學藝時的技藝是多麼拙劣不堪。

すなわち世阿彌の言葉を現代語に置き直せば以下の如くになる。

若將世阿彌的話改為現代的語言,便是如下所記。

「ところで上達の過程を自覚できないでいるときはまた自分の芸が初心の段階に逆もどりしていることにも気がつかない。そうして初心の芸に逆もどりするということは、すなわち能が退歩することにほかなるまい。したがって初心の芸を忘れまいと工夫するのは、とりもなおさず現在の自分の芸境を見失わないためにするのである。かえすがえす、初心の芸を忘れれば初心の段階へ退歩するという道理を肝に銘じておかねばならない」。

「當自己已經無法意識到自己在進步的時候,也就察覺不到自己正在重回學藝之初。而重回學藝之初也就意味著技能在退步。因此,謹記學藝之初,刻苦專研即是為了保持自己現在的技藝境界。我們必須反覆不斷地將『若忘初學之拙,不進反退』這個道理銘記於心。」

厳しさの極を行くこの指摘を、山崎正和は次のように評する。

山崎正和是這樣評價這句極其嚴厲的訓誡的。

「たんに習道者の怠慢をいましめる言葉としては、これはいささか殘酷すぎる教訓だといわなければならない。現在の芸の水準を維持するために、世阿彌は美しい未來の夢よりも過去の醜悪な姿を思い出せと奨める。かりにどれほど美しい表現効果がつくられたとしても、それは一瞬の成功によってかすめとられる奇蹟の産物にすぎない。かたときでも緊張をとけばそのすぐ裏側に、人間本來の不器用な姿がいつでも顔を出そうとして待ちかまえている。現に壯年になり老年になるごとに、鍛えられた肉體もくりかえし新たな不適応狀態に遭遇するほかはない。世阿爾はそれを〈時々の初心〉〈老後の初心〉と呼んで、そのときの苦しい格闘の成果を忘れるなと強調するのである。ある意味で、美しい芸はつねに〈初心〉の不安のもっとも鋭いときにうまれ、いいかえれば醜い不適応狀態と背中あわせにこそうまれるのだといえる」。この機微に気付かずあるいは忘れた時、能に限らず人生のすべては下降線を辿る。

「如果單從『告誡習道之人不可輕易懈怠』這個角度看的話,這句訓誡著實有點過於嚴苛了。為了保持現在的技藝水平,世阿彌給出的建議是,不要去想像美好的未來,而是要去回想過去的拙劣。即使你現在的技藝能夠創造出多麼完美的表現效果,那也不過是從瞬息而逝的成功中截取的奇蹟般的產物罷了。人類本性中那種笨拙一直都在伺機而動,一旦我們稍有放鬆,就會自內而外地顯露出來。在現在這種壯年步入老年的階段,我們必須不斷磨鍊肉體以應對新的不適狀態。世阿彌將其稱之為『時刻的初心』,『老後的初心』,並強調要銘記當時艱苦奮鬥過的成果。在某種程度上,精湛的技藝往往誕生自我們的『初心』最不穩定的時候,換句話來說,就是當我們超脫了這令人難堪的不適狀態的時候。」若是無法察覺出這種微妙之處或是將其遺忘,那麼不僅是我們的技能,連我們的人生都將走下坡路。

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