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w-inds.橘慶太:從偶像到音樂人,一路不易一路堅持

2001年にデビューしたw-inds.は、90年代のJ-POPミリオンセールス時代の餘波を受けつつ、地に足をつけた活動を継続。20年も迫りつつある彼らには、これまでにいくつかの転機があった。そこには、メインボーカルである橘慶太が曲作りに攜わるようになったことが大きく絡んでいる。今月、そんな彼が全曲プロデュースを行ったw-inds.のアルバム『100』を発売する。ORICON NEWSでは、橘慶太にw-inds.進化の軌跡を語ってもらった。


2001年出道的w-inds.儘管受90年代J-POP百萬銷量時代餘波影響,仍腳踏實地開展著活動。出道近20年的他們,至今遇到過多次轉機。在這之中,主唱橘慶太參與作曲活動可以說有著很大影響。本月(七月),由他製作全曲的w-inds.新專輯《100》發售。ORICON NEWS就此對橘慶太進行了採訪,聊了聊w-inds.的發展軌跡。






歌やダンスはもちろん、製作もできないと生き殘れない時代という危機感がある


在如今這個唱歌跳舞之外,不會製作就無法生存的時代,感到危機感




——現在、慶太さんは「歌唱」「ダンス」だけでなく「製作」も含め、w-inds.の音楽のほぼすべての段階で活躍していますが、音作りに関わり出したきっかけとは?


——如今慶太先生不僅是「唱歌」、「跳舞」,還參與「製作」,可以說在w-inds.音樂活動的各個階段都十分活躍,請問您參與音樂製作的契機是什麼?




橘慶太:僕が最初に楽曲製作に興味を持ったのは、今井了介さんにプロデュースしてもらった『New World』(2009年)のとき。その少し前から、僕はJ-POPと、海外のトップチャートの曲との音の違いが気になっていたんですが、その違いについて教えてくれたのが今井了介さんなんです。


橘慶太:我一開始會對音樂製作產生興趣是在今井了介先生為我們製作《New World》(2009年)這一作品時。在這之前我就有些在意J-POP和海外一流藝人曲子之間的不同,是今井了介先生將二者的不同之處教授給我。




——歌のレッスンを受けに短期で渡米するなど、勉強熱心ですよね。


——您為了接受音樂相關課程曾短期留美學習,很熱衷學習呢。




橘慶太:そうですね(笑)。ボイトレは『アメあと』(2008年)の頃だったかな。発聲に違和感があって、LAに行ったんですよ。筋トレにハマったのも、ダンスの筋肉の使い方を研究したくて始めたのがきっかけです。僕は「なぜ?」を追求するのが好きなんですよね。感覚だけに頼るのではなく理論、理屈を知っておきたくて。


橘慶太:是的(笑)。發聲訓練差不多是在《雨後》(2008年)的時候吧。覺得自己發聲有些奇怪,所以就去了洛杉磯。會開始健身也是為了研究跳舞時肌肉的使用方法。我很喜歡問「為什麼」。不僅是依賴於感覺,而是想知道更多理論和道理。






——アジア各國でw-inds.の人気が高まったことは、慶太さんにどのような変化をもたらしましたか?


——w-inds.在亞洲各國人氣提升,對慶太先生來說有什麼變化嗎?




橘慶太:2004年くらいからアジアのフェスに參加させていただいたんですが、當時は、正直、J-POPがダントツで歌もパフォーマンスもカッコイイと思ったんです。それが年々、アジアの音がカッコよくなっていったんです。アジアのシーンは洋楽の音に近づいていっているのに、日本の音楽は変わらない。それがJ-POPの個性でもあると思うのですが、僕は「これはまずい」と感じました。アジアでのライブ経験も、自分たちの音をもっと進化させようと思ったきっかけのひとつでしたね。


橘慶太:從2004年左右開始陸續參加亞洲的音樂節,當時說實話我覺得J-POP真的無論是歌曲還是舞台表演都是最帥的。而之後亞洲的音樂逐漸發展越發好了起來。亞洲音樂在向西方學習,但日本的音樂卻還是沒什麼變化。雖然這也是J-POP的個性,但我也深感「這麼下去就糟了」。所以通過在亞洲各地現場表演的機會,是我們使音樂進化的一大契機。



——自分で作った曲を、自分で表現できる。そういう人って、他のダンスグループにはいない。まさに、アーティストとしての最終形態になったという印象です。


——自己表現自己所作的曲子。其他舞蹈團體很少有這樣的人。可以說發展為音樂人的終極形態。




橘慶太:いつの間にか、歌うし踴るし、楽器もやり、曲を作ってミックスエンジニアまでやるようになっていました。僕は、今の時代には、そうじゃないと生き殘れないという危機感があるんです。僕、すごく心配性なので、今の仕事を失うのが怖いんです(笑)。


橘慶太:不知不覺,不僅是唱歌跳舞,也開始玩樂器、作曲甚至是後期混音。我覺得在如今如果做不到這些就無法生存,很有危機感。我是愛操心的人,很害怕失去現在的工作(笑)。



アイドルデビューしてからアーティストに変化していくのは本當に難しい


作為偶像出道再向音樂人轉變真的很難




——2000年代の目まぐるしく狀況が変わる音楽シーンで活動を継続してきたわけですが、その変化について、慶太さんご自身はどう感じていますか?

——在2000年代日新月異的音樂市場中一直堅持著音樂活動,在面對這些變化時,慶太先生自身感受如何?




橘慶太:J-POPって獨特なんですよね。こんなに繊細な構成で作られた楽曲って、他の國にはないものだと思う。ただ、そのJ-POPが90年代にミリオンヒットを連発したことで、ジャンルを孤立させてしまったのでは。売れすぎたことで、世界的なサウンドが入りにくい狀況になったとも言えるんです。音楽を聴くツールは変わったのに、音楽が変わっていない。その乖離を和らげることができたら…という思いはすごくありますね。


橘慶太:J-POP真的很獨特。我認為內容構成如此纖細的的歌曲是其他國家所沒有的。不過,由於J-POP在90年代不斷創造百萬銷量,是不是也導致它在類別上被孤立了呢?因為賣得太好,有時候很難聽到世界各國其他的聲音。人們聽音樂的方式在不斷變化,但音樂卻沒有變化。所以一直就在想如果能緩和一下這一矛盾就好了。






——w-inds.は男性のダンスボーカルユニットとして長く活動しているグループになっていますが、シーンを牽引してきたという想い、自負はどこかにあったりしますか?


——w-inds.作為男性唱跳組合來說已經是很長壽的組合了,是否有帶領音樂界發展,覺得哪裡不能輸的想法?




橘慶太:僕らがですか!? いや、そんなのないですよ(笑)。w-inds.の影響を受けて歌ったり踴ったりするようになったと言ってくれる人もいるので、続けていてよかったなと思うことはありますけど、「尊敬してます!」みたいな感じで來られると、戸惑いますね(笑)。だって、みんな上手なんだから、「オレらのほうが上手いし!」って思っててもおかしくないのに、そういう人がいない。本當にね、僕のまわりにいるのはいい方たちばかりなんですよ(笑)。


橘慶太:我們嗎!?我們可沒那麼厲害(笑)。也有人說受w-inds.的影響開始唱歌跳舞,我會覺得自己堅持下來是件好事,但如果是抱著「很尊敬w-inds.」的態度來,我們會受寵若驚的(笑)。畢竟大家都很優秀,就算有人覺得「我們才更厲害」也不奇怪,但並沒有人這樣。真的,我們周圍都是很好的人(笑)。






——後輩たちのために道筋を作りたいという想いは?


——有想過為後輩鋪路嗎?




橘慶太:それはあります。僕らもアイドル的な形でデビューしてから方向性を変えるというところでの試行錯誤がありましたから。そこのギャップを埋めるような道は作っておきたいです。曲を自分たちで作って出したいと思っても、それがなかなかできないっていう話も耳にしますからね。


橘慶太:當然有。我們作為偶像出道,後來在轉換方向時有過失敗的嘗試。所以想給他們鋪平這些坎兒。也聽到很多人說雖然想自己作曲,但卻怎麼都做不好。




——年齢、キャリアとともにアイドルからアーティストへの変化していく過程は、今振り返って、どのような道のりでしたか?


——隨著年齡、資歷增長,回顧您從偶像到音樂人的轉變過程,覺得這是怎樣的軌跡?




橘慶太:これは個人的な見解ですが、僕は、ゼロからアーティストとしてデビューするよりも、アイドルとしてデビューしてから変わることのほうが難しいことも多いと思うんです。「アイドル=音楽が専門ではない人」という見方がどこかにあるので、すぐには認めてもらえない雰囲気があったんです。それこそ、『New World』のときも、自分たちがカッコイイと思ってやってみた音楽なのに、「なんで、w-inds.がこういう曲をやってんの!?」みたいな反応も多くて、當時は辛かったですね。


橘慶太:雖然是我個人的感受,我覺得比起從零開始作為音樂人出道,偶像向音樂人的轉變要難得多。很多人都認為「偶像=並不是專業搞音樂的人」,所以很難得到大家的認可。像《New World》的時候也是,明明我們覺得是很帥很棒的音樂,但大家的反應卻大多是「為什麼w-inds.會唱這種歌!?」,當時真的很艱難。




——それでも「やってみたかった」んでしょうか?


——即使如此還是「想嘗試」?




橘慶太:いえ、どちらかというと、當時の僕らは「やるべきだ」って思ってました。正直言ってしまうと、アイドル路線で張り合ったとしても、他のアイドルの方たちには勝てないと思ったんですよ。あんなにキラキラしていて、アイドルの王道を極めている人たちと似たようなジャンルで進んでいっても勝負にならないなって。だったら僕らは別の戦略や、道を見つけないとなと思ったんです。


橘慶太:也不能這麼說,當時我們想的是「我們必須這麼做」。說真的,即使當時繼續走偶像路線,我們也覺得贏不過其他偶像。大家都閃閃發光,和王道偶像路線的人走差不多的路線根本沒有勝算。那我們乾脆就實行別的戰略,必須找到別的路。







大知くんもISSAさんもすごくストイック


大知君和ISSA桑都很克己




——同じ事務所だと、三浦大知さん、DA PUMPさんといった、いろんなカラーのダンス&ボーカルシンガー、ユニットが腳光を浴びていますね。


——和您一家事務所的三浦大知先生、DA PUMP等藝人,很多異色唱跳歌手和組合都開始嶄露頭角了呢。




橘慶太:『U.S.A.』は本當にすごいですよ。僕には、<どっちかの夜は晝間>という歌詞は思いつかない。というか、採用できない。でも、そこが耳に殘るんですよね。もちろん、カモンベイビーアメリカも。それを、実力のある人たちがやるからカッコイイわけだし、バズったんです。大知くんもISSAさんも、すごくストイックな人ですから。だから、腳光を浴びたのは、素直に嬉しいし、誇らしいです。


橘慶太:《U.S.A.》真是不錯。我是想不出「你我的天空日升月下」這樣的歌詞,應該說不會用。不過,正因為如此才讓人印象深刻。當然,C"mon, baby America也是。這些真的是有實力的人做出來才會很帥,才會引起話題的。大知君和ISSA桑都是很克己的人。因此,能在音樂界有一席之地,我真的為他們高興和自豪。







——シングル曲から始まり、ついにアルバム『100』も全曲プロデュース。アルバム1枚製作してみて、気づいたことというのは?


——從單曲開始,到現在《100》整張專輯都是自己製作。這次製作整張專輯,有什麼新發現嗎?




橘慶太:それこそ、サブスク時代になると、アルバムも1枚を最初から通して聴くか、定かではないわけです。アルバム収録曲だから、こういう曲もあってもいいかもね…という考え方は、もはや通用しない。全曲、表題曲になるようなクオリティじゃないと聴いてもらえないなと。僕、いろいろ悩んでしまって、今回はすごく時間がかかりました。


橘慶太:深切感受到,進入數字訂閱時代後,人們不一定會把一張專輯從頭聽到尾。那種「反正是收錄到專輯裡的曲子,加這一首也可以」的想法已經不通用了。如果整張專輯的曲子不能全部都達到標題曲那樣的質量,人們是不會聽的。我這次想了很多,也花了很多時間。




——音へのこだわりって、気づいて欲しいですか?


——想讓大家注意到你在音樂里的心血嗎?




橘慶太:取材でいろいろ説明したりはしていますが、たぶん、ほぼわからないだろうなと思っています(笑)。でも、それでいいんですよ。たとえば、自分がご飯を食べにレストランに行ったときに、「こちらは、○○産の▲▲を使っておりまして…」と丁寧に説明されても、そんな話はいいから早く食べたいよって思ってしまう(笑)。あれ? これって僕が話す音楽の説明と一緒だなと。料理だって、隠し味に気づかなくても、食べて美味しければそれでいいじゃないですか。一部のマニアックな人は興味を持ってくれるかもしれないけど、基本、それぞれが好きに聴いて、楽しんでくれるのが一番ですよ。


橘慶太:雖然我在各種採訪中說過很多,但我想大概很多人還是不知道的吧(笑)。不過,這樣也挺好。比如去超市買食物時,就算店員再怎麼細心地說「這是哪兒產的用了什麼什麼材料」,你還是會想:別再說這些了,趕緊讓我吃到比較好吧(笑)。咦?這不就和我對音樂的說明一樣嘛。料理也是,即使嘗不出秘方,只要覺得好吃就夠了。會有一部分狂熱粉絲會對這些有興趣,但大部分都是隨著喜好去聽,樂在其中才是最重要的。




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