不會表達自我的日本人:是謙虛的錯?
「謙虛」という言葉の意味を調べると、「自分を偉いものと思わず、すなおに他に學ぶ気持があること」という意味だとわかる。実るほど頭が下がる稲穂かな、大賢は愚なるが如し、敢えて天下の先とならずなど、日本には昔から謙虛、謙遜を美徳とするようなことわざが多い。
查了一下「謙虛」這個詞的意思才知道,謙虛是指「不認為自己很偉大,坦率、虛心地向他人求教的態度」。就像是果實飽滿的稻穗會低下頭,大智若愚,故意不走在天下的最前方等。在日本,很早之前就有很多表達謙虛、謙遜這一美好品德的諺語,代代傳頌。
しかし、海外生活をしていると、これら「謙遜の美徳」は日本以外の場所ではあまり通用しないことがわかる。謙遜してつつましく控えめに出てしまうと、歐米人とのコミュニケーションがうまくいかなくなってしまうことのほうが多い。自分の意見を論理的に伝え合うことを目的とした歐米型コミュニケーションでは、控えめ=意見がない人とジャッジされてしまうことになりかねないからだ。よく日本人は、「シャイで何を考えているかよくわからない」と外國人に言われるが、これは日本人の「謙遜を良しとする価値観」に起因する部分が大きいように思う。
但是,開始了海外生活之後才發現,這些「謙遜的美德」在日本以外的地方不怎麼通用。當你表現得謙遜、恭謹、剋制就會發現,很多情況下,這樣根本沒辦法和歐美人順利地交流。在以將自己的意見有邏輯性地闡述出來相互交換意見為目的的歐美型溝通交流中,剋制=沒主見,很容易讓人產生這樣的判斷。日本人常常被外國人說「很害羞,常常不知道他們在想些什麼」,我認為日本人「謙遜是美德的價值觀」佔據了很大一部分原因。
そして、私たちが謙遜や素直さを意識すると、言葉の言い回しがどうしても遠回しな言い方になってしまう。「こうしたほうがいいと言う人もいますよ…」、「それはそうですが、でも…」、「うーーん、でもね…」
於是,
我們越是意識到要謙遜和直率,語言上的措詞變得更加兜圈子
。「雖然也有人說這樣會更好…」、「話雖如此,但是…」、「恩,但是啊…」
こんな言い回しじゃ、外國人には伝わらない。「…」の部分を日本人のように読み取ってくれると期待してはダメだ。相手からすると、「結局この人は何が言いたいんだよ?」とイライラされてしまう。
這樣的措詞,是沒有辦法傳達給外國人的。期待他們像日本人一樣讀取句子中「…」的部分是萬萬不可的。從對方的角度來看,只會覺得「這個人到底想說什麼啊?」而漸漸抓狂。
英語やフランス語圏の人のコミュニケーション方法に比べると、日本人同士のコミュニケーションは非常に曖昧だ。互いが互いの気持ちを察することを前提とした會話だから、はっきりと自分の考えを主張することは避け、ふわっとした言葉で巧みに本心を包み込んだ主張を伝える。直接的な歐米人から見ると、日本人は「ニュアンスだけで會話している」ように感じるかもしれない。
與英語、法語圈人們之間的交流方式相比,日本人之間的交流相當曖昧。由於是在體察對方心情的前提下建立的會話,所以會避免清清楚楚地傳達自己的主張,而用不痛不癢的語言巧妙地包裹住自己的內心,從而傳達出自己的想法。從性格直接的歐美人看來,可能覺得日本人只會進行些「微妙的對話」。
「空気を読もう」という前提があるから、はっきりとした主張をしなくて済む。しかし、歐米人との會話で同じようにしてしまったら、これがうまくいかない。こちらがいくら考えを伝えているつもりでも、相手がくみ取ってくれないことが多々あるのだ。
由於有一個「體察氛圍」的前提,所以不用清清楚楚表達自己的主張也能完成交流。但是,如果和歐美人對話也這樣的話,肯定不會順利進行。無論我們多麼想傳達自己的想法,對方常常無法讀取。
「私はこうしたい、なぜなら~だから」、「~だから、私はそうは思わない」、「私はこれができるから、こうしたい」
「我想這麼做,要說為什麼呢,那是因為…」、「所以,我並不這麼認為」、「我能夠做到,所以想這麼做。」
これくらいの直接的な表現で自己主張しないと、相手に理解してもらえないことが多い。
如果不用這種程度直接來表現自己的主張,多數情況下無法令對方理解呢。
「自己主張」というと、自己中と混同してマイナスなイメージをもつ人も多いが、これもまた日本人的な価値観である。自己主張とは、「人間が社會において、自己の意見や考えや欲求などを他人に伝える」という意味であり、決して悪いことではないのだ。
說到「自我主張」,很多人心中都混雜了一些負面情緒,這也是具有日本人特質的價值觀。所謂「自我主張」是指「人類在社會上生存,需要將自己的意見、思想、欲求等向他人傳達」,絕對不是什麼壞事情。
歐米人にとっては會話の中で自己主張することがスタンダードであり、逆に論理的にうまく自己主張できない人は意見がない人だと判斷され、無能で幼稚だと思われてしまう可能性すらある。何を聞いても、ふわふわした何が言いたいのかよくわからないことを返されてしまっては、外國人のほうもこのままでは埒が明かないと思い、自分主導で話をすすめようとする。すると、日本人の本音と外國人がすすめる話にずれが生じ、日本人側は「一方的に話をすすめられて、こちらの話をちっとも聞いてくれない」と不満を抱くようになるが、この責任は日本人側にもあると思ったほうがいい。
在歐美人看來,會話中的自我主張才是標準,
相反,無法邏輯性地表達自己主張的人會被判斷為沒有意見的人,甚至還有可能被認為是無能、幼稚的人。
無論詢問什麼,都是不痛不癢的不知道在說些什麼,外國人也會覺得這樣的情況應該是沒有跨越思維的界限,只能繼續推進自己主張的意見。於是,當日本人的真正想法和外國人推進的主張有所偏離,日本人會抱怨說:「外國人擅自推進自己的意見,都不停我們的意見」,可以說,主要責任其實在日本人方面。
大切なのは、相手と同じ量の意見を自分のほうからも言っていくことだ。會話の邪魔になってしまう謙虛さはいったん忘れたほうがいい。
重要的是,將自己同等分量的意見通過自己的語言說出來。會對會話產生干擾的那份謙遜也暫時統統忘掉吧。
そして、曖昧な表現ではなく、しっかりとした自己主張をするために必要なのは、「自分を高く売ろう」という意識ではないかと筆者は経験上、思う。
然後,為了使表達不再曖昧,能夠徹底地表達清楚自己的主張所必要的是「將自己身價抬高」的意識。這是筆者的經驗之談。
言葉が母國語でないからこそ、大きく出る。発音に日本人特有の訛りがあるからこそ、自信のある人に見せることが大切だ。言葉がネイティブのようには話せないというハンディキャップを、「それでも一生懸命に話す人」というプラスの要素に印象づけることが大切なのではないだろうか。
正因為所說的語言不是母語,才更要理直氣壯。正因為日本人的發音有著特殊的口音,將自己的這份自信展現在別人面前才非常重要。如果語言不積極說出口便會變成不利條件。給人塑造一種「這是一個即便如此也十分努力的人」的加分印象不也十分重要嗎?
出來ないから…と委縮して、小さくなっていれば、周りの人も小さな人間だとジャッジする。しかし、自分が実際に思っているよりも「もっとできる人」として演じていれば、相手も自分のことを高く買ってくれるのではないだろうか。
因為做不到而畏畏縮縮,自己的存在感越來越小,然後同周圍同樣的「小」人作比較。但是,自己只要演繹一個比自己想像中「更能幹」的角色就可以了,對方也會將自己高價買走吧。
歐米人と會話をする時は、「実際よりも高く売る」を意識していると、自分の意見や考えも「謙虛さという鎧」をつけることなく、ストレートに主張できるようになると思う。
我認為和歐美人會話的時候,擁有「身價比實際高」的意識的話,也不用給自己的意見、思想穿上「名為謙虛的鎧甲」,便能夠直接地表達自己的主張。
自分を高く売ってはじめて、主張ができる。
以抬高自己身價為起點,能夠表達自己的主張。
主張ができてはじめて、自分の話を聞いてもらえるようになる。
又以能夠表達自己的主張為起點,別人也能夠聽進去自己的意見了。
大家都在看
● 日本人結婚典禮上那些不為人知的事兒
● 石原里美新劇口碑差,到底是誰的鍋?
●
16歲美少年:從軟萌正太到變態殺人犯● 熱播劇《延禧攻略》經典台詞日語翻譯
● 如同洋娃娃一般可愛的日本女星TOP10
●
從中國到日本,日本人現在瘋狂迷戀它●
日語越學越難?先掌握這些常用句吧!● 便利店打工的外國人:日本人居然這樣
● 吃吃吃!2018上半年日本人氣零食排行
● 驚艷一哭火遍中國網路的小仙女是誰?
● 2018年日本最可愛高一女生長這樣!
● 想和TA一起去看花火大會的明星排行榜


※日本人的「急性子」到底是好是壞?
※如何才能用日語做一個完美的自我介紹?
TAG:滬江日語 |