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日本人談外語:語法是捷徑語感是鑰匙

最近、わたくし、ドイツ語の勉強を始めまして。そこで全國の語學習得を目指していたり、通訳になりたかったりする人たちに向けて、語學習得のコツを書いてみることにしました。

最近,我開始了德語學習。在這裡,我想向全國那些以語言學習為目標的,想成為翻譯的同志們,說說我的學習訣竅。

さて、結論から言って、語學習得のコツはセンス。この一言に盡きます。

那麼,先說結論——語言學習的訣竅是「語感」,這句話飽含了一切。

日本人談外語:語法是捷徑語感是鑰匙

どんなセンスなのかというと、それはもうセンスがある人は「ああ、わかるわかる」とおもうだろうし、ないひとは「なにそれ?」と思うようなもので、説明不能。自分が語學に向いていると思う人にはあるだろうし、向いてないと思う人にはないと思われます。

要說是什麼語感的話,很難解釋的清,我想有語感的人會說「啊~我懂我懂」,而沒有的人則會納悶「那是啥啊?」一般來說,如果覺得自己適合學語言,語感應該是有的,反之則沒有。

言語系統としていっちゃえば、ドイツ語はゲルマン系、イタリア語はラテン系だから、それほど文法とかは似てないんですよ。日本人が大體絶望的になる「男性?女性?中性名詞」に関しても、ドイツ語とイタリア語の各単語でまったく関係ないし。まあ、そりゃ日本語と比べれば、文法的にも似ているし、簡単なんだけど。

要是按照語系來說的話,德語是日耳曼語系,義大利語是拉丁語系,所以在語法上也沒有那麼的相似哦。而另大多數日本人崩潰的「陽性?陰性?中性名詞」,在德語和義大利語各單詞中也完全沒有關係。不過和日語比起來,這兩種語言在語法上還是比較相似的,學習來也簡單。

そういうことは別として、わたし達に共通するものは、「母國語ではない外國語が存在するということを肌で知っている」ということだと思うんです。これは、ハーフの人たちが、両親の母國語以外の外國語を簡単に習得できる(可能性が高い)ということにも密接に関係していると思うんですが、この世にひとつ以上の言語があるということを本能で知っているということは、三つ目、四つ目、五つ目の言語に対して、すごく自由に接することが出來るからなのではないかと。

先不管這些,我覺得我們學習者的共通點是:「切身體會到了除母語之外的其他語種的存在。」對於混血兒來說,除父母母語之外的其他語言之所以學起來比較容易(這種可能性較大),和上面提到的這點密切相關,因為他們本能的認識到這世上不僅僅只有一種語言,因此對於第三種、第四種、第五種語言想必都能靈活應對。

わたしは、會話中心に言語を學ぼう、という試みが、大嫌いです。いや、人によるので、いい悪いじゃないんですが、個人的には會話で言語を學ぶなんて、無理だと思ってる。そりゃ、子供とかは別ですよ。でもある程度育っちったひとが、「使えるように」言葉を學びたかったら、まず文法。それは、何も難しいことを言いたいのではなく、それが一番の近道だから。です。

我很討厭以會話為中心的語言學習這種嘗試。不過嘛,這種方法還是要看人的,無所謂好壞,只是個人覺得,單從會話中學習語言不太可能,小孩子什麼的除外。成長到一定階段的人要想學「實用」的語言,首先就要學語法。我不是想說什麼複雜的東西,只是這確實是條捷徑。

って言うかね、言葉って言うのは、文法があって、言葉になっているわけじゃないでしょ?あくまで、使われている言葉というのが先にあって、それを體形だてて考えてみると、文法という一つの決まりが見えてくる。(エスペラント語は別ね。)つまり文法というのは、ひとつの言葉を理解するためのお約束を、わかりやすく整理してくれているものなわけ。

話說,語言這東西,有了語法方成體系不是嗎?說到底,是先有了普遍使用的語言,然後人們將其整理成體系後發現了一定的規律,謂之為語法(世界語除外)。也就是說,語法是前人為了讓我們更加了解語言而整理出來的簡單易懂的規則。

世界語(Esperanto)是最為廣泛使用的人工語言。波蘭眼科醫生柴門霍夫(?azarz Ludwik Zamenhof)在對其進行了十年的創作工作後於1887年創立了這個語言的基礎。其定位是國際輔助語言,不是用來代替世界上已經存在的語言。今天,以世界語為母語的人士約1000人。能流利使用的人估計十萬到兩百萬人。

せっかくわかりやすく整理してくれてるものがあるのに、それを「めんどくさい」とか「おもしろくない」とかいって參照せずに、いきなり會話をやっているから、いつまでたっても「言語」としてその言葉を捉えることが出來ないわけですよ。赤ちゃんとかで、ものすごく頭柔らかかったら別ですよ。でも日本人で、日本語でものを考えている人が、いきなり、たとえばイタリアに言って、會話だけをして、イタリア語の仕組みまで理解するなんて、不可能とはいわないけどまず無理でしょう。「なんで?」の連続になる。

難得有了這現成的簡單易懂的總結,卻以「麻煩」、「枯燥」等理由將其拋在一邊,直接開始學習會話,想必你永遠不會有理解它們是「語言」的一天,像嬰兒的話頭腦非常靈敏所以暫且不說。而用日語來思考的日本人,舉個例子,一下子開始說義大利語,而且想要只通過會話去理解意語語言結構,不說不可能吧,終歸是很難的,在學習道路上會疑惑重重。

はっきりいって、文法をやらずにひとつの言葉を習得しようとすることは、超理不盡な謎解きをさせるゲームを攻略本なしで解くようなものです。ま、ゲームだったらさ、その理不盡さに文句言いつつとくのも楽しいかもしれないけど、語學習得は一刻も早く習得したいものでしょ?普通。だったらせっかく攻略本があるのに、つかわなきゃ損じゃないですか。

說白了,撇開語法去學一門語言,就像破解一個沒有攻略的無厘頭猜謎遊戲一樣。不過遊戲嘛,雖然無厘頭,也能邊抱怨邊享受,可要是換成了語言學習,一般來說大家不都是恨不得早點學成嗎?既然這樣,難得有了這攻略書,不用豈不是虧了?

作者寫於2016-06-23
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