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日本道教學會第六十七回大會

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會議日程

日本道教學會第六十七回大會


開會式


挨拶 日本道教學會會長 大形 徹 大會準備委員長 宇佐美文理


研究発表


張道陵以前儒生的道教


姜 生 (四川大學)

司會 三浦 國雄(四川大學)


『大洞真経』の再検討


垣內 智之(大阪市立大學)


司會 亀田 勝見(福井県立大學)


道教の傳經儀禮における臨壇三師について

金 志玹 (ソウル大學)


司會 小南 一郎(泉屋博古館)


『莊子口義』と禪について


坂內 榮夫(岐阜大學)

司會 中西 久味(新潟大學名譽教授)


鉛汞小考


加藤 千恵(立教大學)


司會 都築 晶子(龍谷大學名譽教授)


元代の醫家と儒醫―龍谷大學所蔵『家伝日用本草』をてか?かりとして


谷口 綾 (日本體育大學)


司會 武田 時昌(京都大學)


「墨杘谷」から「雉衡山」へ―楊爾曾の道教系出版事業と明代女仙信仰


頼 思妤 (東京大學大學院)


司會 森 由利亜(早稲田大學)


「新寶巻」にみえる信仰のありかた―孤魂と免災―


松家 裕子(追手門學院大學)


司會 土屋 昌明(専修大學)


特別講演


『太乙金華宗旨』の浄明起源問題 ― 清初常州における呂祖乩壇信仰と浄明派の関係から


黎 志添 (香港中文大學道教文化研究センター長)


講師紹介 金 志玹 (ソウル大學)


『太乙金華宗旨』(以下は『金華宗旨』と略稱)に対し、蔣予蒲は天仙派、閔一得は龍門派に屬すると、それそ?れ異 なる主張をしていたか?、この分岐は明らかに彼らか?自身の流派を他から識別する必要からテキストを再構成した結果 て?あり、再構成の論述も教派の教理によって異なる。森由利亜氏やモニカ?エスホ?シ?ト氏はそれそ?れの著作において 『金華宗旨』祖本各種の再構成の歴史、及ひ?各版本の編集?刊行の過程に生し?た問題について論述した。論者か?興味を 持っているのは、乾隆四十年(一七七五)邵志琳本『金華宗旨』か?浄明派に淵源を持つという問題て?ある。


蔣予蒲と閔一得は、それそ?れ編纂した版本において『金華宗旨』と浄明派との関係を故意に迴避しているか?、『金華 宗旨』の原本にある乩示は、実際には康煕七年(一六六八)と三十一年(一六九二)、毗陵郡(江蘇常州府)の郡治武 進城內(現在の常州市)において呂祖か?降乩した二つの乩壇て?起きたことか?明白て?ある。邵志琳本に付す十四篇の序 と二點の附篇、及ひ?一篇の跋文は、『金華宗旨』の編集者か?淨明道を信奉したという宗教的事実を明示している。


森?エスホ?シ?ト両氏はいす?れも邵志琳本『金華宗旨』か?浄明派に由來していることを指摘した。エスホ?シ?ト氏は「『金華宗旨』か?もともと浄明運動の參加者に乩示したものて?あるということをもう一度強調したい」と述へ?、森氏も同様 に『金華宗旨』の編集者か?浄明道を信奉したことに気つ?いた。しかし、両者の関係か?一體と?のようなものて?あったか、 さらなる研究か?必要て?ある。事実上、エスホ?シ?ト?森両氏はまた?『金華宗旨』の浄明道由來の問題を解決していないか らて?ある。換言すれは?、『金華宗旨』の研究を深めるためには、なせ?『金華宗旨』か?浄明伝統の産物て?あるかという問 題を再考すへ?きて?ある。邵志琳の「序」は『金華宗旨』を「浄明大法、忠孝雷霆」の教義の下にあるとした。この點に 注目して本稿て?は、浄明経の歴史と文獻的実証、特に明末清初における浄明道の金丹修錬に関する文獻の検討を通し? て、『金華宗旨』祖本か?いかに浄明派の內丹修錬伝統を継承したものて?あるかを解明したい。


第一部て?は、毗陵武進県にある潘易庵の白龍精舎の乩壇か?浄明道の背景を持つことを考察する。邵志琳本『金華宗 旨』において、潘易庵は大多數のメンハ?ー(少なくとも七名の乩壇參加者)の導師て?ある。彼らか?白龍精舎の乩壇に集 い、呂祖から得た降乩こそか?、『金華宗旨』の起源となったのて?ある。第二部て?は、潘靜観か?白龍精舎の乩壇において 弟子に『浄明忠孝録』を伝授した事実を考慮し、『金華宗旨』の成立過程を明末清初の江西南昌及ひ?江蘇地區(例えは? 南京?杭州?常州なと?)の縉紳階層の間て?流行していた浄明伝統において再考察する。當時の縉紳は浄明経典の編纂? 刊行およひ?流通に力を注いた?。浄明道に屬する文人たちか?龍沙讖や內丹書を刊行した事蹟を調へ?ると、晩明の浄明信 仰か?広範にわたって広か?っていたことか?わかる。このような事実を踏まえて、本稿て?は清初毗陵て?刊行された『金華 宗旨』祖本の背景を分析し、それか?晩明清初に編集された浄明道の金丹伝統の延長とみなすへ?きて?あることを論証す る。


三教論爭から見た道教


麥谷 邦夫(京都大學名譽教授)


講師紹介 神塚 淑子(名古屋大學)


佛教流入以降の儒佛道三教間の論爭は、さまざまなテーマをめぐって繰り返し行われてきた。とりわけ南北朝後半 から唐代にかけては、道教教理の展開に對應するかたちで、道佛二教間で激しい論爭が戰わされた。これらの論爭を 記録した現存資料は、その大部分が佛教側の護教的觀點からする道教批判を集成したものであり、論爭の結果は往々 道教側の敗北に終わったことになっている。僞濫僧や佛寺の過度な造營などをめぐる財政經濟問題などでは、佛教側 もかなりの痛手を蒙ってはいるが、こと道佛二教間の教義論爭に關していえば、佛教宗派間での長い論爭の歴史や講 經といった教義宣明のための制度を有し、宗論を戰わせるための論理學的基礎を身につけていた佛教側がいささか有 利であったことは否めないであろう。


こうした情況を打開するために、道教の宗師たちの中にも佛教の辯論方法を積極的に研究して對抗しようとするも のが存在した。『道教義樞』の序文にあげられた「王家八竝」の王家すなわち王斌は、齊梁の間の道教宗師としてその 代表的存在に擧げることができよう。また、近年の研究によれば、辯論方法を訓練するための教科書的なものも存在していたことが知られる。ただし、こうした努力の痕跡は、唐代以降になるとほぼ姿を消してしまう。このことは、佛 教における三論學派の衰退とも關連すると思われるが、道佛論爭そのものの低調化も原因のひとつであろう。


いずれにしても、佛教側との教義をめぐる論爭の過程を通じて、道教の宗師たちは論爭のための辯論方法そのもの を學ぶとともに、自己の教理の弱點を明確に自覺し、その弱點をいかにして補強するかを眞劍に模索していった。教 主の有無をめぐる論爭、道と氣、道と自然の關係如何をめぐる論爭、天尊をはじめとする天神をめぐる論爭などは、い ずれも道教教理の核心に關わるものであるが、激しい教義論爭を經て道教側の主張の一部は次第に變化していった。 この時代とりわけ隋唐時期の道教教理は、『老子』の哲學を核に展開すると同時に、佛教との論爭を糧として飛躍的な 發展を遂げたといっても過言ではない。


『辯正論』や『廣弘明集』といった代表的三教論衡書をはじめとして、これまであまり注目されてこなかったその他 の關連史料を檢討することによって、六朝から隋唐時代にかけての道教が抱えていた教義上の問題點を明かにすると ともに、當時の道教の宗師たちがそれらを解決するためにいかなる思想的營爲を積み重ねてきたのかの一端を述べて みたい。


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